ママ、昔って・・・
どうだったの(゜_。)??


小3アニ、学校宿題「むかししらべ」。
父母、祖父母から今と違う昔の様子をヒアリングし、
レポートせよという課題。
ママが小さいころかー。正直、ついこの間だし(ウソ:笑)
今と何も変わらないよー。と困っていた?、偶然別件でじいじ来訪!
(*≧▽≦)ノ ヤッホ♪
玄関先、母子でじいじをつかまえ、昔のことを根掘り葉掘り。

手近にあった裏紙とボールペンでメモ!((φ(・д・。)ホォホォ 
マインドマップで書いてみる☆こんな感じ。
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むかしのこと
・テレビはおろか、ラジオもなかった。ラジオは大変に高価だったので、
 コイルを巻いて、鉱石ラジオを自作する人も多かった。
・もちろん電話もなく、備えているのは役場か大きなお店のみ。
 交換手にかけて、つないでもらう方式だった
・学校にプールはなく、もちろん水泳の授業もなし。でも、島育ちで
 毎日海で泳いでいたから、カナヅチの子はだれもいなかった

とか。母が聞いても( ゜Д゜) ムホーな話も多数。

せんそうのこと
父は、戦中長崎県に生まれる
造船所のそばで生まれたが、戦局悪化で島に疎開。
5歳で兄と、遠くに原爆を見たという。

原爆はあまりに明るくて、父の兄(私の伯父)は思わず
「太陽が2つある!」
あまりの明るさにスリ硝子越しに兄と見入っていたら、
だいぶ時間がたってから落ち、爆風が届いて、
島の灯台が吹き飛ばされるほどの爆風で、
開け放した窓から入った爆風で、
家の中のものがあれこれ落ちたのだという。

「でも、戦争中より、
食べ物がなかった戦後の方が大変だったなあ
・・・ぽつんとじいじ。

平和な21世紀に生まれ育ったアニ、
どう思ったかな。

折しも17日は阪神淡路大震災あった日
平凡で平和な今日がどれだけ尊いのか

ムスコの小学校課題にそんなことを思った今週末。